江津と人麻呂
江津の万葉は、人麻呂の歌の歌枕と、その妻、依羅娘子(よさみのおとめ)の出生伝説、更に万葉の古道を持つところに特色があります。歌枕は、人麻呂が石見にあって妻に別れる歌と、石見にあって死に臨んで詠んだ歌があります。これらの歌は、万葉集の中でも秀歌として、また、人麻呂の代表的な歌として古くから知られています。
柿本人麻呂
西暦700年代の初めに、石見の国の国司として中央から赴任してきた宮廷歌人。
後の世で万葉集の中で歌聖とも言われた柿本人麻呂は、江津の地で依羅娘子(よさみのおとめ)と出会い、数多くの愛の歌をのこした。
依羅娘子(よさみのおとめ)
石見の国の郡庁があったといわれている江津市二宮町の恵良(えら)の里の豪族のお姫様といわれている。
柿本人麻呂と出会い、恋に落ちた依羅娘子が詠んだ歌からは教養の高さがうかがえる。
石見相聞歌
万葉の世界に思いをはせる旅
柿本朝臣人麻呂は、西暦700年代の初めに、石見の国の国司として赴任したとされています。そして、人麻呂は、やがて石見の国で依羅娘子(よさみのおとめ)を妻に娶ります。
石見の国と石見の風土の中で生まれ育った依羅娘子をこよなく愛し、ともに交わした歌は、雄渾で格調高くロマン溢れる歌“石見相聞歌”と呼ばれる作品群として万葉集の中に残されています。日本の和歌史上、初めて個の叙情が誕生したのは、人麻呂が石見で歌った“石見相聞歌”の中だとの説があります。
宮廷歌人、歌聖とも言われる柿本人麻呂が残した多くの歌の中で、ひときわ輝いているのが石見相聞歌群といえるのかも知れません。石見相聞歌には、江津周辺の地名がいつくか歌枕(故地)として詠みこまれています。そんな石見相聞歌の舞台江津が近年、全国の多くの万葉ファンに注目されつつあります。人麻呂が生きた約1,300年前とさほど変わらぬ風景が、江津には今も残されており、訪れる人々を古代の相聞歌の世界に誘います。
古道を歩く
石見の国庁があったとされる現在の浜田市を出発し、都に上ったであろう柿本人麻呂は、現在の江津市内を通り抜けたのでしょうか…。
山陰道石見6駅(伊甘-江西-江東-樟道-託農-波祢)をたどる都への道を“万葉の古道”とし人麻呂も歩いたであろう道筋を想像豊かに散策するのも江津の万葉の楽しみ方のひとつとも言えます。
学者を魅了した万葉の世界
万葉歌人で有名な柿本人麻呂ゆかりの地として知られる江津市には多くの歌や伝説が伝えられています。
江津市内の万葉ゆかりの地5か所には、人麻呂と依羅娘子が詠んだ詩の歌碑が設置されています。これは全国にも例を見ない多さです。
歌碑の一つがある高角山公園には、江津万葉ロマンの主人公、人麻呂と依羅娘子2体の銅像があります。銅像建立記念碑(歌碑)もあります。江津市へお越しの際には、ぜひ足を運んでみてください。