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今田神楽社中
代表者名高良一志PR我々今田舞子連中は、邑智郡大元神楽伝承保存会の一員として、子供からお年寄りまで地域一丸となって伝承保存活動を行ってきました。近年では、先人達の過去の映像を基にした「より古い型の復刻」や崩れた所作の修正、今田本来の笛や太鼓の復活、度重なる口伝により本来の意味が失われた口上の解読等に力を注いでいます。古くから伝わる独特の囃子と重厚な所作を守りつつ、見る人を魅了する神楽を目指しています。調子六調子保持演目神迎え、神降し、太鼓口、岩戸、八幡、鈴ヶ山、恵比須、刹面、天神、神武、塵輪、黒塚、鐘馗、ハ岐 -
江尾大元神楽保存会
代表者名酒井守PR江尾大元神楽式年祭は6年に一度、秋例祭や地元の祭りなどで上演します。6調子の特有な囃子が特徴です。演目の一つ「弥治右衛門」は独自の保持演目で大蛇と塵輪が得意演目です。また、江尾大元神楽保存会の若者が「ILOVE江尾」を掲げ地域貢献にも力を入れています。調子六調子保持演目大蛇、鈴ヶ山、神武、黒塚、弥治右衛門、四方拝、潮祓い、太鼓口、岩戸、弓八幡、剣舞、御座、天蓋、手草、山の大王、鞨鼓刹面、鍾鬼、鈴合、天神、蛭子、塵輪 -
小田舞子連中
代表者名前田広茂PR国の重要無形民俗文化財に指定されている「大元神楽」を伝承し、7年に1度現地公開している。大元神楽の夜は、神職と舞子連中が神職舞・奉納舞を一晩中くりひろげ六調子の太鼓囃子が舞を盛り上げる。今後も伝承文化の伝承保持・伝承者の育成を地域と一体となって取り組んでいきたい。調子六調子保持演目四方堅、潮祓、岩戸、弓八幡、剣舞、神武、恵比須、四剣、天神、塵輪、切目、鍾馗 -
有福温泉子ども神楽団
代表者名近重勝利PR唱和54年に結成、当時の有福神楽団の団長故近重安政氏が、石見神楽に対する熱い思いを、次代を担う子どもたちに託して立ち上げたもので、その志を子どもたちが受け継ぎ今日に至っております。地元神社の節分祭をはじめ、近隣地域のイベント等に参加しています。調子六調子保持演目塵輪、天神、恵比須 -
嘉久志神楽子ども会
代表者名吉本香代子PR昭和47年町内神社の秋祭りを盛り上げるため子ども神楽を結成。昭和51年公民館活動として再発足し、嘉久志地区の協力により神楽衣装を新調して頂きました。地域の子供の健全育成と伝統芸能である石見神楽の継承と発展のため頑張っています。調子八調子保持演目隠れ岩、塩祓い、鈴神楽、恵比須、塵輪、八幡、大蛇WEB嘉久志神楽子ども会HP -
谷住郷神楽社中
代表者名右田哲也PR石見西部に継承されてきた八調子神楽で、本家「長澤神楽」流儀を継承し、重厚な舞、一体感のある奏楽、その独特な詞章、舞技法を研鑽習得し、主に地元の見水山八幡宮を守護神として祭礼に勤しみ、全国各地の神社の例祭、イベント等にもお声掛け頂き島根が誇る伝統芸能を多くの皆様にご披露しております。また近年では、谷住郷夜桜まつりを開催するなど、地元に根差し、微力ながら地域おこしとなる一助になればと活動しております。調子八調子保持演目鈴神楽、塩祓、八幡、岩戸、かっ鼓、切目、天孫降臨、胴の口、道返し、弁慶、鹿島、天神、塵輪、八十神、日本武尊、頼政、黒塚、恵比須、鐘馗、大蛇、五郎 -
都治神楽社中
代表者名林 史浩PR昭和44年結成。石見西部を中心とした八調子神楽で神社の例大祭はもとより県内外の諸行事へ積極的に参加し花を添えております。社中の基本理念として、石見人の性格になじみ敬神と祭事を盛り上げるため、お客様の胸に残り、再び観たいと思っていただく「残胸再観(ざんきょうさいかん)」を旨として社中全員が一丸となって古典的な神楽あるいは新曲神楽の習得に精進、研鑽を重ねております。調子八調子保持演目鈴神楽、塩祓、八幡、弁慶、天神、塵輪、大江山、恵比須、頼政、日本武尊、八十神、道返し、黒塚、かっ鼓、切目、岩戸、神祇太鼓、鐘馗、五穀種元、天蓋、鹿島、八衢、大蛇、五神 -
人丸神社の歌碑
名称人丸神社と歌碑建立年昭和48年(1973)4月30日揮毫者元九州大学教授 高木市之助氏碑文『石見のや 高角山の 木の際より 我が振る袖を 妹みつらむか』(万葉集 巻二 一三二)意訳「石見の国の高角山の木の際から、わたしの振る袖を妻は見てくれたであろうか。」施主江津人麻呂顕彰会場所江津市島の星町291交通(JR)JR江津駅よりタクシーで10分(車)山陰道江津道路江津ICから約10分その他 -
柿本神社の歌碑
名称柿本神社と歌碑建立年昭和44年(1969年)6月4日揮毫者元大阪大学名誉教授 犬養孝氏碑文『石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香』(万葉集 巻二 一三二)意訳「石見の国の高角山の木の際から、わたしの振る袖を妻は見てくれたであろうか。」施主都野津人麻呂顕彰会場所江津市都野津町1747交通(JR)JR都野津駅より徒歩15分。(バス)JR江津駅より石見交通バス周布・浜田駅行き「都野津一町内」下車。徒歩7分(車)山陰道江津道路 江津西ICより約10分。その他江津市に初めて建立された万葉歌碑。犬養先生揮毫全国2番目の歌碑。 -
君寺の歌碑
名称君寺と歌碑建立年平成5年(1993年)10月31日揮毫者京都女子大学名誉教授 清水克彦氏碑文『勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不戀有牟』(万葉集 巻二 一四〇)意訳「そんなに心配するなと、あなたはおっしゃいますけれども、再びお逢いできる日は、いつと分かっているならば恋しがらないでしょう、どうして恋しがらずにいられましょうか。」施主二宮町探宝会場所江津市二宮町神主恵良交通(JR)JR都野津駅よりタクシーで約10分。(車)山陰道江津道路江津西IC→県道299号→国道9号江津方面→県道297号その他 -
二宮交流館の歌碑
名称二宮交流館と歌碑建立年平成10年(1998年)3月29日揮毫者<歌碑表>清水 克彦 博士(元京都女子大学名誉教授)<歌碑裏>山藤 朝之氏(江津市 郷土史家)碑文<歌碑表>『依羅娘子生誕伝承の里』<歌碑裏>『今日今日とわが待つ君は石川の 貝に交じりてありといはずや直の逢ひは逢ひかつましじ 石川の雲立ち渡れ 見つつ偲ばむ』意訳「今日は今日はと、わたくしが待っているあなたは、石川の貝に交っているというではありませんか。」「直かにお逢いすることはもはやできないでしょう。石川に雲よ立ち渡れ、その雲を見ながら、あなたをお偲びしましょう。」施主二宮交流館(交流館建設1周年記念事業の一つ)場所江津市二宮町神主イ171二宮交流館正門の右側交通(JR)JR都野津駅... -
辛の崎の歌碑
名称辛の崎と歌碑建立年昭和62年(1987年)5月10日揮毫者澤瀉久孝(おもだか ひさたか) 博士(元京都大学名誉教授)碑文『角障経 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曾 深海松生流 荒磯尓曾 玉藻者生流』(万葉集 巻二 一三五)意訳「石見の海の唐の埼にある岩礁には深海松が生える。荒磯には玉藻が生える。」施主辛ノ崎歌碑建立委員会場所江津市波子町島根県立石見海浜公園Fゾーン(大崎鼻地区)花の中央広場駐車場隣地交通(バス)JR江津駅から石見交通バス「周布・浜田駅」行きで約20分。バス停「波子東」下車。徒歩7分。(車)山陰道江津道路 浜田東IC→県道254号線→国道9号線江津方面へ約10分。「石見海浜公園 大崎鼻地区」「人麻呂ゆかりの地(辛の崎)」看板を左折... -
人麻呂が見た景色:高神の丘
古代の狼煙台があったと伝う地 応神天皇の時、全国に山守部を配置。石見の国の初代山守部として、角山君内麿が恵良の里に移り住みのろし台が置かれた。恵良の里から高角山が望める。 名称高神の丘場所江津市二宮町神主イ694付近一帯の里山(地元では高神の丘という)交通(JR)JR都野津駅よりタクシーで約10分。(車)山陰道江津道路江津西ICより20分。(君寺から眺める事ができる丘)ルート:江津西IC→県道299号→国道9号江津方面→県道297号→「人麻呂ゆかりの地(君寺)」標識に従って進んで下さい。その他凡そ1,700年昔のこと、第15代應神天皇(おうじんてんのう)の御世、全国に山守部という制度が置かれ、石見の国の初代山守部として角山君内麿(つのやまぎみのうちまろ)が都より恵... -
人麻呂が見た景色:靡けこの山
「…(略)妹が門見む 靡けこの山」人麻呂の長歌の一節です。古代人は、山を精霊の宿る神秘の地と見ていました。その神々のこもる不動の山(高角山)に向かって「靡けこの山」と叫んだのです。 名称靡けこの山(なびけこのやま)場所江津市金田町(県道112号線沿い)交通アクセスは、写真の場所を示しています。(JR)JR三江線千金駅から徒歩5分又は、JR江津駅からタクシーで約10分その他万葉集巻二 一三一長歌最終章に「…夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山」としている。地元では、“この山”を高角山としてご案内させてもらっている。いよいよ江の川を渡る 妹が完全に見えなくなる 人麻呂の悲痛の叫びとなっている。 -
人麻呂が見た景色:尾上の山
「尾上の山」と伝わる室神山通称「浅利富士」といわれ、市民に親しまれている。 名称屋上の山場所江津市浅利町交通(JR)JR山陰本線浅利駅から徒歩60分その他屋上の山は、万葉集巻2 135 長歌「…嬬隠る 屋上の山の 雲間より 渡らふ月の…」とある。屋上の山は、室神山・浅利富士・高仙とも言われる。標高246m。中腹には、県立少年自然の家がありハイキングコースも整備されている。また、山頂には高仙地蔵(たかぜんじぞう)が祀られ参詣者も多い。